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◆ はじめに

失業率5.6%・・・連日テレビや新聞は「不景気」「倒産」「リストラ」と私たち日本人を取り巻く今日の「働く」環境の悪化を叫び続けている。現実の目の前にある大きな問題として政治や行政がこの問題の解決に当たる努力をすべきことは言うまでもない。
しかしながら、私たち21世紀世代が抱える問題は更に深刻であるような気がしてならない。21.3%・・・これは大学を卒業しても職に就かない新卒無業の人の数である(文部科学省「学校基本調査」)。10年前の同じ統計値が5.2%であることから考えると近年、若年層の「働く」ことをめぐる問題と不安は爆発的に大きくなっているといえる。また、失業率も、若年層(15〜24歳)において、4.3%(平成2年)から12.1%(平成14年3月)に急増しており、しかもその4割が長期失業者である
就職氷河期という時代を長年経過し、更に「フリーター」ということばが社会における身分として定着している今日の状況から末来を展望すれば、10年20年後のわが国のかたちはまさに大きな不安の中にある。「25歳のフリーターが10年たって35歳になったら失業者、そうなってからでは遅い!」とは、私自身が選挙期間を通じて有権者の皆さんとともに今考えて行きたい問題として投げかけてきたところである。
10%にも及ぶ若年層失業の問題や雇用のミスマッチから生じる離職率の問題、それと連動する社会保障・年金などをめぐる問題、将来の税収の問題、雇用の安定や知識経験の蓄積不足、更にはわが国や地域を支える人材不足などこの「働く」ということをキーワードとした諸問題は、つまるところ社会全体のあり方を問う、21世紀世代と社会との関係を考える上で欠くことのできない視点であると考えている。
「働く」ことはすなわちそのまま「生きること」と直結する。労働をめぐる状況の変化は私たちの生活そのものに変化をもたらし、さらには社会のあり方を今一度考え直すことを求めている。

一方、21世紀は地方の時代といわれる。「地方の時代」とはいったい何かと考えたとき、多分それは「地域の底力」が試されている時代−−−では、「地域の底力」とはといえば、それはやはりその地域にいる「人」の力ではなかろうかと思う。
そのような時代を迎えるにあたって、わが茨城県・水戸を考えてみた時に「人材の流出」は大きな問題であると考える。高校を卒業したのち、故郷を離れる若い世代は少なくなく、そのまま東京や大阪といった大都市で就職、地元には親を残し、かえってこないという現実がある。
決してそのような生き方自体を私は否定をするものではないが、ただやはりこの地方の時代を生き抜いていく「茨城・水戸」を作りたいという視点に立てば、この現状をなんとか食い止め、この地域に次の世代をどう残していくかという議論を避けては通れない。もちろん、その手立てとしてはまちづくりのあり方や市民共同参画など様々な要素が挙げられるが、今回はその要素の一つとして考えられる「職」をテーマとした視点から考えてみたく思う。地方都市へのUターン・Iターン就職をはじめとする「働く」ための基盤整備なしにこの地方分権の時代は語れないのではなかろうか。

以上、2つの視点からこの時代に一政治家となり、よりよい社会を模索する責任を与えられたものとして、25歳なりの視点で同世代が抱える「働く」ことをめぐっての現状と諸問題とを考察し、社会のあるべき姿を模索してみたい。


◆若年層失業者の背景にあるもの


大卒就職をめぐるデーターは読み間違えやすい

例えば大学生の就職状況を把握する場合、一般には「就職率」「内定率」という2つのデーターが用いられる。
「就職率」とは毎年文部科学省の学校基本調査によって公表されるもので在籍者における就職したものの比率を示す。史上最低であった2000年のデーターを取り上げてみると55.8%。これはバブル絶頂期の1990年の81.0%に比べると驚くべき落差である。ただ、この背景には大学院や専門学校、留学といった多様化した選択肢をとる学生が増えたということもその一因といえるが、そもそもその選択自体が緊急避難的な要素も幾分含まれているということを考慮に入れながら考察すれば、「企業社会」に受け入れられず余っている大学生が相当数いるということが伺える。
「内定率」とは就職希望者のうち企業から内定を貰った者の比率を表す。これ自体は測定時期によって推移をしていくものであり、年度末には100%に近い数字になっていることが望ましい。現に昨年度末の値が92.1%であり、ここ数年若干きびしめではあるもののそう大きな変動があるものではない。しかしながら、ここに落とし穴がある。各大学が発表する就職率とは実はこの「内定率」を使用しているケースが多く、実態を把握するには混乱を招くことがある。繰り返しになるが、この「内定率」の分母には「就職を希望するもの」の数値が入る。すなわちそこからは、大学院に進学するもの、専門学校に進むもの、海外留学をするもの、卒業後は家事手伝いをしながら・・・といった者は除かれる。さらに「当初は就職希望であったが途中で諦めたもの」もその分母から省かれる。「就職したかったけれど、どこからも内定もらえなかったので、今はまずはとりあえずフリーター志向です」という学生も分母から省かれてしまうのだ。となれば、90%台の数字が並ぶことは無理もない。

現に、わが母校立命館大学の例を挙げれば2002年度卒業生の就職内定率は「92.9%」であるが、公的データと同様の定義で立命館大学の「就職率」を示せば「57.5%」という数字になる。東京大学にいたっては30%台にまで下がるという数値である。各大学が表向きに出すデーターはここで言うところの「内定率」を「就職内定率」といった形で公表をしているため、公的データとの齟齬が生じている。各大学が、「卒業生が余っている」という現実を隠そうとしているようにも見える。
 
「留学して帰ってきたころには、少しは景気も上向いて、少なくとも今よりは就職の状況はよくなっていると思うよ。だから、そのころになれば、就職も出来るようになってるよ。今はタイミングが悪いだけ!」と言うアドバイスのようなものをいろいろなところで在学中耳にしたが、もはや状況はそんなものではないと思う。見えない数字、隠されてきた数字がさらに爆発し大きな将来の社会不安へと繋がってくるのは目に見えている。

短大卒・高卒の状況

女性の社会進出とともに、女性が社会デビューを果たすメインステージであった短大。かつては20万人をこえる求人総数があった短大生需要が、今は5万人にも満たない(リクルートワークス研究所「大学生の求人倍率調査」)。短大の就職のシステムは高校の就職斡旋システムに近く、企業から直接学校宛に来た「指定校推薦枠」に対して、学内から「推薦」の形をとらねばならず、かならずしも自由応募ではない。かつては企業から多くの推薦枠が提示され、学校推薦を得らればそれは入社の権利を得たのに等しかった。就職部もうまく機能をし学生側からすれば「就職できない」などという不安はほとんどなかったのである。もちろんその背後には企業と短大のパイプの太い細いの関係の中で、公然と需要供給のバランスが保たれてきた。しかしながら、今では求人数もかつての四分の一と少なく、就職部もお手上げといった現状という。かつてのシステムも機能せず、自由応募で頑張ってくれといった状態らしい。ちなみに、「誰でも入れる、とりあえず大学へ」志向や、企業ニーズの変化もあり、現在短期大学の学生数は年々減少している。短大への進学率は1994年の13.2%から2000年には9.4%にまで減少。卒業人数も25万人から18万人へと減少した。就職率は59.1%で、就職しないうちの一割程度が4年制大学へ編入するという最近の時代の流れもあるが、その一方で多くの卒業生が「無業者」として社会に放り出されている。

一方、高校生をめぐる就職の問題は更に危機に瀕している。近年年末も近づくとニュースで高校生の就職内定率が話題になるが、昨年末時点での茨城県のデーターでは59.4%。県内の求人倍率は0.71倍しかなく、就職希望者のうち2000人以上の進路が決まらずに不安なまま新年を迎えたことになる。1991年・152万3574人、2001年・15万1667人。これは高校生への求人数であるがこのたった10年の間にその絶対数そのものが10分の1まで縮小してしまったことになる。県内でも 県教委高校教育課に配置されている5人の就職支援相談員や各地の公共職業安定所職員が企業を回り懸命に求人の掘り起こしを行っているが、3923人と前年の同じ時期に比べ900人以上少なく、地元志向が強い高校生にとって厳しい状況が続いている。

この背景には「かつての高校生レベルが今の大学生レベル」といった事情がある。企業側の採用担当者にしてみれば採りたくても採れないという状況なのであるという。「大学生の質」の問題にも注目をすれば、大学が政治施策の結果として大衆化した結果、これまでより以上にホワイトカラー思考が強まり、ブルーカラー・ホワイトカラーのバランスが崩れてきてしまった現状がある。そのしわ寄せが高校生にも変則的に押し寄せてもいるのである。
更にその状況に輪をかけて、これまで高校が持ってきた旧態依然とした学校推薦制度・一人一社制を中心とする就職システムにも限界が来ている。つまりは、学校の成績と勤怠によって先生が企業へ推薦するといったこれまでの評価軸が、企業側と教育現場にミスマッチを起こしている可能性が高い。「先生」が選んだ「仕事」は、就職をする生徒にとってもそれを受け入れる企業にとっても近年あまり良い結果を生んでいないように見える。その慣行を見直すべきとの声も大きくなりよりよくする、企業見学などの取り組みもちらほらと始まってきているが、これが各地域へと浸透するかといえばそうではなく大反対の声が各地から上がるといった状況でもある。
このような状態で学校に期待しない高校生も少なくなくなってきた。自力で仕事を探してくる生徒もいる。ただし、高校生がやりたいと思う仕事は社員ではとってくれないケースも多くそのほとんどはアルバイトであるという。最近ではアルバイトから正社員へというパターンも少なくはないが、やはり現状から考えれば社会保障の面などで不安も大きい。ただ、これらの生徒はまだ前向きでたくましい子供たちであるがその一方で「就職する気がない」「やりたいことがわからないから、しばらくは自宅にいる」という後ろ向きな「志望」選択−−それらはマスコミや生徒たちの周りにある莫大な情報の影響も少なからず受けていると思うが−−生徒らに対し先生はなすすべもないというのも現実である。既存の就職システムが崩壊していくなか、自らの意志で動き出した生徒を学校や社会はどう受け止めるべきなのか考えることは喫緊の課題であるように思う。

最後に、少しだけ専門学校についてふれておきたい。とある専門学校の就職率は99.5%であるが就職以外の進路をとるものは極めて少なくなっている。専門学校の授業システムは高校や大学といったものよりも更に実社会の風を受けやすく工夫されていることが多い。講師も企業経験を持った人も多く、中にはゼミ形式で専門知識以外の実社会に役立つ力を蓄えるカリキュラムを備えているものや実際に企業と連動し奨学金などのシステムを採用している例もある。また、先生側が企業と側のニーズにキャッチアップしその結果実績を伸ばしているということも挙げられる。大学と専門学校は目的も何も全てにおいて異なってはいるが、こと就職問題に関しては「大学が上」という社会通念はここ数年、様相が変わってきているといえる。

若年層離職率の増加

若年層就職の問題は、企業から内定をもらった後に4月の入社式を終え一件落着といったわけにはいかないというのが近年の傾向である。新入社員の就業後3年以内の離職率は中卒7割、高卒5割、大卒3割(いわゆる七五三の原則)といわれ、若年層の失業率に拍車をかけている。「考えていた仕事と違った」「やりたいと思うことができない」「自分の時間が保てない」という理由から「朝、起きれない」に至るまで様々であるが、これでは企業の側も採用に対してつい重い腰になってしまうのも頷ける。それではこの背景にはいったい何があるのであろうか。
それを読み解くキーワードの第一が「社会状況の変化」にあると考える。すなわちそれは「いい学校に行けばいい会社に入れて、あとは安泰」といったかつての終身雇用を中心とした雇用システムの崩壊にあるような気がする。今、現在、若年層といわれる私たち世代は両親が共働きで、朝も夜も土曜も日曜もなく働く両親の背中を見てきて育った。食うために働いているのか、働くために食っているのかわからないような生活をしながらも、生活そのものは安定している・・・そう思っていた矢先に、不景気、リストラといった社会裏切り、神話の崩壊を見せ付けられてきた。さらに、一生懸命頑張って就職活動をし、やっと有名企業に入ったり内定もらった先輩がいきなり会社が倒産で突然内定取り消しや、解雇になって困り果てている様子も目の当たりにしてきた。こうなってくると、「就職がなんぼのものだ」「会社人間なんかつまらない」「将来はどうせわからない」と言う心理が働き、離職にあまり抵抗がなくなるのも当然のことのように思う。未だ見えない、新しい「働く」ことへの価値観と新しい「働き方」模索しないかぎり、この問題は大きくなるばかりである。
さらには就職の「ミスマッチ」もその大きな要因である。学校社会の中で就業観そのものが育たないうちに就職・進路選択といわれても、まわりに流され「とりあえず」が関の山である。学校と職業の間の距離が、生徒や学生にリアリティーを感じさせないのである。そこの問題をクリアしないかぎり「離職」の流れは止まらず、それこそ教育が果たすべき役割とその責任は大きい。
 
若年層失業者の問題が見えない理由

これだけ深刻な若年層失業者の問題が、わが国にでは今ひとつ議論の場に現われずにきたには理由がある。それは、大きく分けて2つのセーフティネットが暗黙のうちに整備をされているのである。
2000年の国勢調査によれば未婚男性のうち20−24歳で62.6%、25−29歳で60.5%、未婚女性では同じく、69.9%、70.6%という数の人が親と同居をしている。フリーターに限定してみれば男性で71.1%、66.7%、女性で68.5%、70.6%と言う数字になる。すなわちフリーターは親へのパラサイト率が非常に高いということが言える。欧米の独立志向に比べて、日本では親の子供への精神的依存度も高く、いざとなったら親元に転がり込めばなんとでもなるといった、パラサイト思考は失業のセーフティ−ネットとなっている。
フリーターの労働市場もセーフティーネットの一つとなっている。社会の経済の営みに目を向けた時に、アルバイト・フリーターが果たしている役割は非常に高い。学卒後の若者にこれだけアルバイトの求人があふれているのは日本だけとも言える。しかも、自給も非常に高く、場合によっては自給換算すれば正社員より割がいいなどというケースも少なくない。就職できなくても失業してもアルバイトさえすれば生活はできる。そしてこの形のフリーターは雇用の形態は違うものの失業者ではないからデーターとしては見えてこないのである。
これらの構造は、今現在としては問題として顕著に現われるものではなく、大きな社会問題化することもない。しかしながら、パラサイトやアルバイト生活も何歳になっても、未来永劫可能なわけもなく、この先に待ち構えている見えない危機は確実に大きくなっている。



◆21世紀世代の不安と危機

このようなかたちで、21世紀世代・いわゆる若年層を取り巻く労働をめぐる問題、更にはそこへの入り口の段階の問題など、将来社会を築く根幹ともいえる部分に大きな不安を抱えているのが現在であるといえる。前述のような状況分析を基に、今一度、雇用全般の変化と結果的にどのような点が社会不安へと繋がるのかを確認をしてみたい。

雇用を取り巻く状況が変わっている

日本はつい最近まで失業率3%を切るという、世界でも雇用に関しては大変優れた安定していた。
その背景には完成された、日本独特の終身雇用・年功序列・新卒一括採用といったシステムが構築されてきたということにある。近年では年功序列というシステムは能力主義に相反するという観点から一時批判の的になっていた観があるが、このシステムは結婚、出産、子育てと生活費が徐々にかさむようになるにつれ賃金も安定して高くなるというシステムとなっており、中高年層の生活の安定に大きく寄与し、離職を抑える効果を発してきた。
中小零細企業や自営業の存在も雇用においては大きな位置を占めてきた。大企業に比べ労働環境が必ずしも良いとは言えないが、それでも大企業の受け皿として時には緊急避難的にもうまく機能してきた。この経済の二重構造も近年の景気の状況のあおりを受けて崩壊しつつある。
さらには、経済成長といった時代背景もその大きな要因であることも忘れてはならない。
しかしながら、現在わが国における状況は今挙げた3点とも大きな変化を迎えており、言い換えればこれまでの価値観ではもう立ち行かなくなっているということを如実に表してさえいるのである。
日本の雇用の「高コスト構造」はいまや逼迫した情勢にとっては頭の痛い問題である。その結果、変化に対応できないコスト高の中高年が整理の対象となり、「リストラ」として近年の社会問題の中心的課題のように取り上げられてきた、また政府も1999年6月の緊急雇用対策を皮切りに臨時雇用の増設など5000億円を超える税金をつぎ込み、世帯主として多くの場合扶養家族を抱える中高年の救済に乗り出した。それ以降も追加的に雇用対策をおこなっているが中高年をターゲットにしていることに変わりはない。しかしながら、この一つ一つの対策は残念ながらその場しのぎの対処対策におわれているといった観も否めない。
今、求められているのはこの次に来る社会の大枠の仕組みをどのようにしていくのかという議論である。雇用の問題はもはや「現在」の問題ではなく「未来」の問題であるといえる。


やがて社会保障の壁に直面する

現在のフリーター、アルバイト、パートタイマー・契約社員などといった雇用の形は、先にも述べたとおり20代あたりまではそれなりの収入もあり、職もあり生活といった面ではあまり支障もない。そういった意味では、新しい雇用の受け皿、働き方の仕組み(ワークスタイル)としてはそれなりの機能を果たしているのかもしれない。しかしながら未だ現状として社会保障の面での正社員との格差は非常に大きい。使用者の側も人件費の削減をその採用の理由に挙げる企業が60%を超えるといわれるなか、ますますその不安は募らざるを得ない。解雇をめぐる問題も後を絶たず、いずれにしても雇用保険・社会保険・労働保険などの加入を通じ、使用の側にも身分の安定に努めていく努力が求められる。
 
職業能力開発への不安

20代の若い世代は、職業能力の基礎を作る大切な期間だといわれている。これまでの新卒一括採用という仕組みの中で、企業は企業内研修等を通じて人材を育成してきた。しかしながら今日の状況は、企業としても採用した社員が早期退職をしてしまい投資が無駄になったケースの増加や、長引く不況の影響で育てる人材よりも即戦力を求める傾向が大きくなってきている。また一方でその間、フリーターであったり、無職であったり、転職を繰り返したりするなかではなかなか職業能力が身につくとも考えにくい。その点、わが国の将来に対しても、若年個人に対しても将来に対して大きなツケとなって跳ね返ってくることは想像に難くない。
  地域の人材不足といった点も大きな不安にあげられる。地元就職志向の強い高校生の就職問題が危機に瀕していることは先にも述べたとおりである。さらには地場産業の沈下により、雇用の受け皿そのものがないため大卒といえどもなかなか地元に帰って就職をするというわけにもいかず地域の人材不足の連鎖はまだまだ続く傾向にある。職業能力の開発にはその地域の特性を生かしたものというものも少なからずあろう。地場産業の中に安定した雇用の受け皿を作ること、さらにはその中で安定して働ける若年層を育てていくことも喫緊の課題である。

敗者復活は可能か


2001年春に大学を卒業した世代168万人のうち、高校・短大・大学を卒業し就職先で少なくとも3年以上働いている人の数は45万人。わずか全体の27%であり、それだけ若年層のキャリアは多様化しているともいえる。心配なのは、普通に働いている人以外の道を歩んだ残り83%123万人の人々が日本社会の冷たい側面にぶつかっているのではなかろうかということである。例えば、高校や大学の中退の学生に対して日本社会は冷たく、一旦フリーターを経験してしまえばよほどのことがないかぎり企業に中途で入るということは難しい。また、行動的な若者が一旦起業をしたり独立をしたりして失敗をした場合になかなか再チャレンジのチャンスをもらうことも難しい。契約社員から正社員へという道も少なからずあるが、現実として正社員を守ろうという企業の気持ちから言えばそう簡単な道のりではないことも容易に想像できる。
誰もが同じ道を歩んできた時代はそれでよかったのかもしれないが、いまや「王道」といえる道を歩んでいるのはたかだか30%足らずである。残りの70%の人たちが戻ろうとしても戻れないのかもしれないという不安は払拭できていない。現実としてこれだけ多様化したキャリア形成やワークスタイルが起こっている今、これまでの単一の価値観の押し付けが破綻し始めていることはいうまでもない。


◆今、何をするべきか

これまで、若年層を取り巻く就職・就労の環境の変化について述べてきたが、最後に、今何をするべきかということについて少しアイデアをあげてみたい。

就業観をそだてるということ

@ 教育の現場と社会・職場の連結を

若年層の間に就業観が育ってこなかったということは、私たち世代を取り巻く現状に大きく影響をしているといえる。現に、中学から高校へ、高校から大学へといった進路選択の流れの中で、私たちは残念ながら「将来への思考」というものを持った選択をしてこれたかといえば疑問が大きい。また、先にも述べたが「いい学校、いい会社神話」が目の前でもろくも崩れていく様子を見せ付けられた私たち世代はことさら将来への手探りが続いており、将来情報の遮断とこれまでの価値観が崩れていく中で刹那的な価値観が蔓延しつつある。
教育改革の流れの中で「総合学習の時間」が取り入れられ教科に縛られない形で授業をお こなうことが可能になった学校、更にはパソコン・インターネットの普及と情報収集も容易に可能になったという時代の変化に合わせて、今こそ地域と学校、更には地元を中心とする企業などがいったいとなって幼少期から「職業人」や「地域人」「活動家」などとのふれあいや「就労体験」やイベントの自発的な企画運営などの就業観・実体験の積み重ねをおこなう最大のチャンスといえる。
     例)中学生チャレンジウィークなどの取り組み(滋賀県など)
       高校生サマーセミナーなどの産官学一体となった取り組み(愛知県など)

Aインターンシップなどの本格的な職業体験の充実

近年、脚光を浴びているインターンシップであるが、これはアルバイトが社会の現場のある一部分しか見えないのと違い、より多角的に専門的に内部から「職業」を体験できる格好のチャンスとして捉えることが出来る。最近では大学生などは単位認定などのおまけもついている例も挙げられる。夏休みなどを利用し、プロジェクトの全てまたは一部を責任を持って任せられるなど長期的・本格的に企業の中に参画できるケースもあり大きな効果が期待できる。ただし、この取り組みについては都市部と地方の大学および企業の温度差も感じられるのが現状である。

Bキャリアアドバイザーの学校への設置

高卒就職の多い学校にはすでに県内でもいくつか設置をされ始めているキャリアアドバイザーであるが、中学校も含めた更なる普及を求めたい。さらには、まだまだ社会的認知も低くその点の努力を求めたい。ただし、現状としてどのように生徒たちの進路選択に影響を与えているのかという調査も同時におこなっていく必要がある。

就職・労働・新規雇用創出をめぐる環境の改善

@ お試し機能、お見合い機能などの設置

新規採用・新卒採用の社員を全員一旦契約社員として一定期間(5年程度)まで雇用をし、その後に双方が合意を持って正社員へと移行していく、もしくは退職・独立という選択を取る「お試し」期間はより多くの若者にチャンスを与え、また企業側も早期退職のリスクを抱えずに済み、より必要な人材の確保へと繋げることが可能となる。この仕掛けを多くの企業がいっせいに取り入れれば新しい社会のシステムとなろう。尚、現在ロームが同様のシステムを発表している。
また、前に学生インターンの例を挙げたが、更に一歩進める形で「学生パートタイマー」の制度の導入も検討する余地がある。インターンのような方対の夏休み、冬休みといった一定短期期間での就労体験・参画ではなく、3年間などの長期スパンで週に数日といった形での就労をおこなうことを可能にする。これはこれまで、起業にそのようなかかわりを持ちたい学生はどうしても休学・留年などの選択が求められ学費コストの面からも敷居の高かったものであるが、大学全体としての仕組みの導入により可能となるものである。現在も文部科学省の審議会でも検討されており、アメリカなどでは広く取り入れられている。

A 正社員から「正」の字を取る発想

大切なことは、パートタイマーといった働き方の社会的な地位・認知を上げることである。近年では、構造不況の影響も受けてワークシェアといった考え方も多く提唱されるようになってきたが、現状の中で社員かパートかという大きな差は社会保障制度に見られる厚さの差だけではなく、解雇、賃金、労働環境、仕事の重要度などから派生する上下関係ともとれる。雇用の形態や年齢、性別で差別されることなく個人の意向や能力にあった形でワークスタイルを選択できる「モザイク型社会」を目指す第一歩であるように思う。この小さな配慮から始まる取り組みは、出産育児などの悩みを抱える女性の就業や、若年層の社会人生活第一歩の新しい選択肢として受け入れやすくなる。

B 働く意欲のわく社会制度を

働くことを「苦役」と考えるのではなく、自己実現と捉えることが出来るための社会制度を充実させる必要がある。現状では、仕事を一生懸命しても報われない、働くことへの動機付けがいささか弱い可能性もある。専業主婦の優遇税制・年金制度・雇用保険など若年層雇用にはさほど影響をしないのかもしれないが検討を要する余地は大きい。
   さらに、「自分の時間も大切にしたい」「就職したら海外にもいけない」といった「拘束されるのは嫌だ」といった心理そのものが若年層を就職から遠ざけているといった例もある。先ほどのワークシェアの議論を更に深めることによって一定の解決の道筋は見つけられるはずである。このことは、日々仕事に追われるのではなく「自分らしさ」(仕事が生きがいだと言い切れる人はそれでよいが)を保ちリフレッシュし、働く意欲というものを保つことが可能であるし、さらにはその「ゆとり時間」をそれぞれが自己学習・体験の時間に当てられるよう、例えば雇用保険の制度のうち教育訓練給付金の制度を改善し資金的なフォローや有給休暇、就業時間など一定の権利をきちんと使用者に守らせることが徹底できれば長期的にもその企業にもたらす効果もあろう。

C 新規雇用の創出を

  新規雇用の創出はこれからの大きなテーマである。新規雇用といえば近年はベンチャー・NPOということばがすぐさま続けられるが、果たしてこの地方においてそれらの文化が根付いているか、可能性が育てられているかというと心もとない。高知県の室戸岬近郊の地域では最近新規雇用の枠が非常に大きくなっている例がある。これは「海洋深層水」の開発とそのブームによるものであるが地元産業が活気付いたその背景には行政サイドと地元経済界が大変な努力をされたという話も聞く。サービスの経済化、福祉産業やIT産業といった新しい受け皿、更には地元密着方産業の創生にむけての支援から独立へといった双方の努力というものが求められている。

地元の人材の確保

  地方の時代といわれるなかで、東京などの大都市への人材流出は大きな課題である。就職活動をする学生からも「地元の情報がなかなか入ってこない」という声を最近ではよく耳にする。地域としてUターン就職・Iターン就職などを勧めることを目的とした就職支援は更に厚いものである必要性を感じる。まずはその第一段階として水戸市レベルでも、従来の県市といった枠組みを超えた就職支援室を東京や大阪に整備するといった議論を始めるべきところにきているのではなかろうか。
   京都市は日本でもっとも学生の多い年であるが、1998年に大学コンソーシアムを設立し地場企業の支援を受けながら地域住民への授業開放のみならず、企業、行政機関、NPOといった様々な形でのインターン支援や地域活動支援を展開している。街と学生とがもちつもたれつの関係の中でともに成長していこうというとりくみである。人と人の繋がりをその場で生み出すことによって地域から若い人材を遊離させないということに大きく貢献をしている。
  一方各地の商店街に目を向けた時に、いまや商店街の9%が空き店舗となっており地場経済の深刻さを物語っているが、今やそれをチャンスと捉えた各地での取り組みも多く見られるようになった。「身近な経営者は商店街にいる」という発想のもと、様々なイベント運営やチャレンジショップの運営など地域と学生のマッチングが始まりつつあり、そこから生まれた人と人のつながりが地元人材の確保に繋がるのではないかという期待を生んでいる。
  総合学習の時間の導入に伴い、授業の中に「地域学」をとりいれる先生も少なからずいるということを耳にする。地域から子供たちが遊離しなかなか人と人のつながりを感じられないで来たところに、このような形で地域への愛着を生む取り組みは将来的には地域人材の確保へと繋がるのではないかと大変期待をするところである。ただ、これらの取り組みは先生や地域の一部の人々のマンパワーに支えられているということに着目をしておく必要がある。
今求められているのは地域の力で、学校と地元と企業と行政とが「地域の人材を育てる」といった一つの目標の基に連携をしていくことであると強く思う。

◆おわりに 

  今回のレポートでは、若年層をめぐる就職の問題をテーマに、21世紀世代の「働く」をテーマに現状の報告から、今、私自身が求められていると感じること、更には各地の地域の取り組みを少し紹介をさせていただいたが、話が多岐にわたりまとまりのないものとなってしまったことをお詫び申し上げたい。
  いずれにしても少子高齢化の影響の中で若年人口は確実に減少していく。供給が減るから若年の雇用問題は長期的には解決していくという楽観的な観測はあるが、私はとてもそうは思えない。ほとんどが大学を卒業していながらも、就業意識が低くて自立心が育っていない、職業能力が低い今の若者たちがミスマッチにより失業にあえぎながら地域を国を背負う時は刻一刻と迫っている。その危機に瀕している状況に、政治が果たすべき責任と、地域や学校、企業とが果たす役割は大きい。
  このテーマは取り組めば取り組むほど国の行政が果たすべき点が多くを占めていることに気づく。しかしながら、今現在進行形で育っている子供たちに、学生に一番身近な地方自治体がやれることは少なくないはずである。
  私はこのテーマを今後自らの政治活動の重要ポイントと位置づけ、今後も学びを続けていくと心に決めている。

水戸市議会議員 川崎アツシ