人口問題から考える「スケールダウン」

「スケールダウン」という発想が、政治も行政も苦手なのです。

県内の人口減は原子力災害に伴う事故による影響が如実に出たモノと思います。「すんでよかった町」「住みたいまち」を目指して、人口流動策を一つ一つ積み上げどんなに丁寧な街づくりをやってきていても致命的な「一発」で根こそぎダメになる。政治や行政にとってこんなに無力感にさいなまれることはないと思います。

… 一方国立人口問題研究所が同じタイミングで我が国の50年後の人口を9000万人弱と推計したものを発表。こちらについては、同じ人口減でもちょっと趣が違う。予測できる未来、そのためにどう備えるかという時間的な余裕が一定程度あるはずです。人口減少社会の国家経営、自治体経営の在り方が問われています。

しかし、政治の行政も「スケールダウンする社会」は経験がない。その必要性は頭では理解しつつも、心が許さない。議会で「人口減少社会に備えよ」と声をあげても「人口をどうやって増やすかを考えるのが政治の役割だっぺー!!!」てな具合で、「経験と実績豊かな」センセイ方に一蹴されるのがいつものパターン。そのセンセイ方やたら声がでかいものだから、行政サイドは委縮しちゃって思考停止になっているんですよね。

不都合な真実はみたくないっていう気持ちと、政治家特有の「見栄」が邪魔をしてダメなんですよね。

この分厚い壁をぶち破ることなしに、何も進みません。冷静に「適度にスケールダウンする社会」を考えなくちゃなと思うわけです。どうやってぶち破るか、これはまさに、僕ら世代の問題です。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=53783

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書き仕事を少しだけしています。

東京への通勤も間もなく一カ月を迎えようとしています。
現在は、職場の諸先輩にご指導をいただきながら来月に迫った大きなイベントの事務局を担当するほか、複数にまたがった仕事を少しずつ担当させていただいています。
「弊社」「御社」など今まで使ったこともない言葉に舌を噛みそうですが、毎日勉強勉強です。

さて、水戸の街で川崎アツシの姿が少し見えずらくなってしまっていることにはお詫び申し上げなければなりませんが、できる範囲で少しずつ頑張らせていただいています。

そのひとつが、毎月書かせていただいている「コラム」です。
ご家庭に配布されているフリーペーパー「machico」の仕事人コラムを担当しています。
20代30代の若者たちの仕事観をレポートしています。みんな悩みながら、思いを持って仕事しているのだなぁということがよくわかります。
これまで、住職・写真館スタッフ・葬祭業・特養ホーム取り上げてきました。来月は製造ラインで働く女性を取り上げます。ぜひご感想などお寄せください。

また、今月はSAKURASAKUでも記事を書かせていただきました。
こちらはFMぱるるんの誌上企画で、お気に入りの音楽アルバムを一曲一曲解説するといったもの。僕は人生の転機にいつもいつも力を与えてくれる「中島みゆき」さんのアルバム「EastAsia」を取り上げました。ご興味がありましたらこちらもぜひご覧ください。

 

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ボランティア元年からも17年。

阪神大震災は後にボランティア元年といわれるきっかけとなりました。

あの日、たくさんの命を救ったのは警察や自衛隊といった公の組織はもちろんのことです。でもそれだけではありません。その日まで普通に生きてきた、社会とはとか、奉仕とはとか、そんな難しいことを考えたこともなく生きてきた、リュックを背負った若者・学生たちでした。

「自分たちにも何かできる」という、自己実現と社会貢献が両立するということ、自らが社会の中で生きているいうことをリアリティを持って感じさせてくれる原体験となったといわれています。「新しい公共」の最初の萌芽はこういうところから始まったのだと言えるのだと思います。

僕が関西の大学に入ったのは96年。この震災ボランティアを経験した先輩方が社会を舞台に活発に活動されている姿がまぶしく映りました。

次の冬、ロシアのタンカー「ナホトカ号」が日本海に沈み重油が流出する事故が起きます。…先輩達は何百台ものバスを全国で仕立てて、学生の仲間たちを募りボランティアへと毎日毎日人を送り込みました。それは確実に、阪神大震災でのしんどい経験を活かした姿でした。そのお手伝いを少しだけ、ほんの少しだけさせていただきながら、その一員となれたことを誇りに思いました。

この時、汚い油まみれの雨合羽に身をくるみながら寒い冬の海に身をかがめてこびりついた油を木のへらで取り除くという延々の作業を僕の隣で行っていた三十代前半のお兄さん(今の僕の年齢ぐらい)が、後の福山哲郎官房副長官。僕が初めてであった政治家の卵でした。

僕が、社会とかまちづくりとかに目を向け始めた原点は多分ここにあります。そのことが一つの根っこにあって、学生時代のさまざまな活動があり、やがて政治の世界へとつながっていきます。

あの、社会の変化があり、そして今の僕がいます。

3・11の震災はかなしくつらい出来事であることに変わりはありません。
しかし、今度もそこから何かを得なくてはならないと考えています

 

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