阪神大震災は後にボランティア元年といわれるきっかけとなりました。
あの日、たくさんの命を救ったのは警察や自衛隊といった公の組織はもちろんのことです。でもそれだけではありません。その日まで普通に生きてきた、社会とはとか、奉仕とはとか、そんな難しいことを考えたこともなく生きてきた、リュックを背負った若者・学生たちでした。
「自分たちにも何かできる」という、自己実現と社会貢献が両立するということ、自らが社会の中で生きているいうことをリアリティを持って感じさせてくれる原体験となったといわれています。「新しい公共」の最初の萌芽はこういうところから始まったのだと言えるのだと思います。
僕が関西の大学に入ったのは96年。この震災ボランティアを経験した先輩方が社会を舞台に活発に活動されている姿がまぶしく映りました。
次の冬、ロシアのタンカー「ナホトカ号」が日本海に沈み重油が流出する事故が起きます。…先輩達は何百台ものバスを全国で仕立てて、学生の仲間たちを募りボランティアへと毎日毎日人を送り込みました。それは確実に、阪神大震災でのしんどい経験を活かした姿でした。そのお手伝いを少しだけ、ほんの少しだけさせていただきながら、その一員となれたことを誇りに思いました。
この時、汚い油まみれの雨合羽に身をくるみながら寒い冬の海に身をかがめてこびりついた油を木のへらで取り除くという延々の作業を僕の隣で行っていた三十代前半のお兄さん(今の僕の年齢ぐらい)が、後の福山哲郎官房副長官。僕が初めてであった政治家の卵でした。
僕が、社会とかまちづくりとかに目を向け始めた原点は多分ここにあります。そのことが一つの根っこにあって、学生時代のさまざまな活動があり、やがて政治の世界へとつながっていきます。
あの、社会の変化があり、そして今の僕がいます。
3・11の震災はかなしくつらい出来事であることに変わりはありません。
しかし、今度もそこから何かを得なくてはならないと考えています

